サッカーコラム ~2013年5月 Jリーグと20年と僕 とストイコビッチ
Jリーグができて20年が経ったみたいです。
もうそんなにか、、という思いと
まだ20年か、、という思いがあります。
僕が中1だったころ(そう書くと年がばれるなw)
Jリーグはありませんでした。
サッカー部も、まぁ1学年10人ちょっと、、という程度の規模でした。
それが翌年、Jリーグができた瞬間、1年生が30人以上入ってきました。
もうカルチャーショックすぎて…
あの頃はテレビでサッカー放送などほとんどなく、
誰かが買ってきた雑誌を見て、誰が誰?って感じで見てました。
ちなみにドーハの悲劇は修学旅行中にラジオで聞いてました。
先生と一緒に。
なんか、茫然とはしたものの、今、テレビで言われるほど
劇的な感情は沸き起こりませんでした。
なぜか?
あの頃の日本にとってW杯は
「どこか遠い国のすごい人たちがやってる大会」
だったんですよ。
だからW杯に出れない、と聞いても、
あ、そっかぁそうだよねーって感じでした。
僕にとってのJリーグの憧れは初年度はあまりありませんでした。
好きな選手はリネカーだったので名古屋を応援してはいたものの、
あまり活躍もなく、さらにグランパスのグッズを頼んだら
同じ赤っぽいってことでアントラーズのソックスをプレゼントされた事もありました(--。
やっぱりバブル的に「Jリーグ」と騒いではいても、
皆が「Myチーム」と思うほどではなく、文化として根付いてなかったんですね。
それからグランパスは小倉が加入し、ストイコビッチがやってきて
平野、岡山、浅野、デュリックスと織りなす中盤は過去最高の輝きを放ちました。
ベンゲルが築き上げたチームはJリーグこそ優勝はできなかったものの、
天皇杯で優勝し、ピクシーの天才的なプレーは誰よりも輝いてました。
広島戦で魅せた少しのフェイントで次々に相手をかわして行く姿は
サッカーの楽しさが詰まっていました。
自分にとって「Jリーグの原点」はずっとこのチームです。
今でもほとんどのメンバーを覚えてるくらい大好きなチームでした。
大岩、トーレスが組むCB。
モダンな4-4-2の組織的な守備。
小川、飯島のオーバーラップと、浅野、ピクシーらが魅せるサイドチェンジ。
そして小倉の変態的なドリブルや、破壊的な左足のシュート。
さらに岡山、平野のスピードと、突破力。平野のシュート力。
中西のオールマイティな能力で途中出場で試合をクローズさせる力。
また、森山の得点力、、、、
今でも色あせなく思えるのはきっと思い出補正だとは思いますが、
それだけ好きなチームでした。
ストイコビッチについては90年のW杯と、92年のEUROの悲劇(ユーゴスラビア代表の辞退)
※内戦の制裁としてサッカー大会からの除外と代表選の禁止を告げられたのです。
で有名だったかもしれませんね。
それからのJリーグでの復活と2006年ドイツW杯での復活とピクシーのゴール。
あのゴール自体は華麗でもなく、こぼれ球を押し込んだだけ、、、なんですけど、
あれはもう神様の贈り物と思いました。
ずっと苦しんできた彼の代表での晴れ舞台。
本当に楽しそうにプレーしていたと思います。
日本のこの20年の歩みは本当に奇跡的でした。
そして、だからこそJリーグは地域に密着し、
野球とは違った形でプロとして定着したのだと思います。
発足当初の「読売」が企業スポーツとして成功した野球の例を
あてはめようとしたことに対して、川渕、そして電通が猛反対。
電通が代表選に口出しするという噂はあまり好ましくないものの、
このときのスポンサードに関しては感謝しきれないものがあります。
また、発足直前のW杯予選、ロスタイムで出場を逃した
'93「ドーハの悲劇」
三浦カズ、北沢、中山、井原、柱谷、ラモス、武田、、、
時代の幕開けを祝うスターが泣き崩れる姿は印象的でした。
そしてJリーグが始まり、ジーコ、アルシンド、レオナルド、ドゥンガ、ストイコビッチ、
ストイチコフ、エムボマ、ジーニョ、サンパイオ、ジョルジーニョ、リネカー、
カレカ、ポンテ、、、、数えきれないスーパースターが来日し、サッカーとは何か?を
教えてくれました。
そして、長年の夢だったW杯出場を果たした
'97「ジョホールバルの歓喜」
あのときの岡野の外しっぷりは誰もが笑ったことでしょう。
そして中田という希代の選手の誕生を目の当たりにした瞬間でした。
初めてのW杯('98フランス)では世界の壁を初めて目にして、
中山の1ゴール。3戦全敗という無残な結果。
まだまだ道は遠いことを実感した大会でした。
その後中田はイタリアに渡り、まさかのセリエAデビュー戦でスタメン。
しかも相手はユベントス。さらにそのユーベ相手に2ゴールという鮮烈なデビューを飾りました。
行動や言動など、色々と棘を指摘された中田でしたが、
時代に風穴を空けた功績は計り知れないものがあります。
ローマに移籍した中田は、さらにシーズン終盤、
優勝争いをしてるユーベ相手にあのトッティと交代で出場し、
1ゴール1アシストを果たし0-2から追いつく活躍を魅せました。
これで優勝を確定的にしたローマはシーズン優勝。
中田は日本人初の海外での戴冠となりました。
そうして迎えた2002年日韓W杯。
ベルギーと引き分けた日本はロシア戦で稲本のゴールで勝利。
W杯での初勝利を手にしました。
新宿の街で見ていた自分は、街が蒼く染まるのを見て
サッカーもここまで来たかぁ、、、としみじみ思っていました。
このときの代表はトルシエの奇抜な戦術と、
柳沢、小野、稲本、中田といった才能ある選手が融合し、
非常に頼もしいサッカーを見せてくれました。
世界大会で(U-20)準優勝したのも、
オリンピックで初のグループリーグを突破したのも、
W杯で初めてグループを突破したのもこの時代でした。
いろんな「初めて」を突破した時代でした。
そこから中村や名波など数人が海を渡り、
セルティっくでの中村の活躍は素晴らしいものでした。
マンチェスターU相手にCLで決めた2本のFK。
また、リーグ戦でのMVPを獲得するなど獅子奮迅の活躍でした。
その中田と中村を迎えた史上最強だったはずの日本代表。
そのころ日本は昇り調子だったチームが直前に内部崩壊。
ドイツ(2006年ドイツW杯)ではチームワークの乱れも指摘されるほどの状態で惨敗。
W杯が終わっても中々試合内容は向上せず、
2010年のW杯も惨敗が予想される状態でした。
やっぱりサッカーは甘くない、
調子に乗った日本が才能やカッコ付けたプレーだけでは勝てないことを
思い知った時代でした。
そこからまさかの本田の急成長でW杯(2010年南アフリカW杯)の初戦で
カメルーン相手に見事勝利すると、オランダ戦には敗れたものの、
デンマーク戦ではまたも見事な内容で完勝。
自国以外のW杯で初めて勝てた大会となりました。
長谷部のキャプテン力、本田の実力など最近の活躍に繋がる大会となりました。
そして2011以降は何といっても香川と長友の時代となりました。
イタリアの名門インテルでレギュラーを勝ち取った長友。
また、ドイツで2年連続優勝したのち、マンチェスターUに移籍して
そこでも優勝を勝ち取った香川。
彼らが織りなす代表チームはまさにこれまでとは異次元の強さを見せ、
アジア杯での優勝、W杯予選でも圧倒的な攻撃力で突破まであと一歩という
実に王者たる姿勢で戦っています。
90年代の代表戦を知ってるものからすると、これは本当か?と疑うほどの成長です。
Jリーグも、破産寸前だった鳥栖がJ1に返り咲いて見事5位に輝いたこと、
仙台が震災の苦しみを跳ね除けて2位になったこと、
サンフレッチェが悲願の初優勝を果たしたこと、
ピクシーが選手時代に果たせなかったJ優勝を手にしたこと、
その間にも清武や酒井、岡崎に乾、大前、高木、ハーフナー、大津と
数多くの選手を海外に輸出し、Jリーグの価値というものが
世界的にも認められつつあります。
[隔世の感がある]
この言葉がぴったりなほど、本当に急成長を果たしたと思います。
そしてJリーグの試合内容も非常に見ごたえがあり、
どの試合もスピードがあって勤勉に動き回り、
特に守備ではさぼることが殆どなく世界でも珍しいほどに
「スペースがなく、忙しいリーグ」となっています。
これは日本人の特徴そのもので、世界に出たときに武器となるものでしょう。
これからの20年。
Jリーグを、サッカーを知らない人が見てきた時代から
「生まれたときからJリーグある世代」が中心になります。
これまでのような急成長は望めないでしょう。
どうしても成長曲線はゆるやかになります。
またこれまでのようなドラマ性も減ってくるでしょう。
W杯出場は当たり前になり、何となくグループ突破まではいくけど、、
という大会が続くかもしれません。
時にはW杯に出れない時もあるかもしれません。
Jリーグは紆余曲折ありながら、これからも進んでいくと思います。
僕らは、これまでのようなドラマに頼ることなく、
毎週末の緩やかな楽しみとしてサッカーと関わり続けていけたら、、と思います。
それこそがサッカーが文化になった証拠であり、
「劇的な何か」がなくともスタジアムに足を運ぶのが日常となり、
W杯が日常になってマンネリ化し、少し退屈になった頃、
その時ようやく日本は世界の仲間になったと言えるのかもしれない。
そしてその時も今と変わらず、やや退屈なサッカーを
愛する人たちが大勢居ることを切に願います。
※ この記事は、2013年5月15日にアメブロ「虚言」で書いたものを移しました。
