サッカーコラム~2013年3月:凋落と 栄枯盛衰 に反して バルサ VS ミラン
バルセロナ VS ACミラン 4-0
Awayでの第1戦を0-2で落としてるバルサにとって
この日の勝利は絶対ではなかった。
加えてRマドリーというライバルとの試合で
2戦続けて敗北しており、
最高のパスサッカー、
バルサこそがサッカー、
という一世を風靡した空気は薄れていた。
事実選手自身も祈るように「逆転は可能だ・・・」という
現実味のないフレーズを壊れたレコードのように繰り返していた。
相手のミランはここ数年は低迷期とは言え、
守ることに関しては誰よりも好んでいる
サッカー界では「お堅い」イタリアのチームなのだから。。。
ーーー
この試合に関して戦術的な話をするのはやめよう。
ひとつだけするのであれば、ビジャを中央の深い位置で使うことにより
メッシに時間と空間を与えたこと、
そしてDアウベスをほぼウィングのように前線に槍のように突き刺し、
ミランの守備を広げたことが功を奏した。
必然的にラインは下げられ、横に広げられ、
もっとも危険なメッシ、イニエスタ、シャビに自由を与えた。
それも、ビジャとDアウベスが独力でも時間を作れ
走力に優れたプレーヤであるからこそ、だが。
バロンドールを取り続け世界最高選手の名をほしいままにしているメッシも
スペイン代表で栄華を極めたビジャも、
年齢が気になりだしたシャビも、すました顔のイニエスタも
誰もが我先にとボールへ群がった。
およそ小学生がやるような「サッカーの原点」が
世界最高の舞台で繰り広げられた。
奪われたボールに群がるバルサ。
一度でもそこを突破されれば危険が広がる。
その危険も、ポストという名の壁が防いだ。
バルサに怖いものはなかった。
攻め続けるしか選択肢がない状況で
凋落を指摘されたチームは沈むまいと抗った。
リアルに対抗する姿に人々は感動を覚える。
そしてそのシナリオは描きかえられた。
バルサという時代は極めて希有な時代だと感じる。
高質なパスと繊細なプレーとチームプレーこそが勝利だという。
時代によって勝利の定義は変わる。
フィジカルこそがすべてだった時代があり、
全員攻撃こその時代があり、
守備がすべての時代が長く続いた。
その守備を「チーム」で破壊する。
なんとも正義感あふれるサッカーであるが、
それは非日常であって、日常ではなかった。
イタリアが、ミランが勝利することで
サッカーは日常を取り戻すかに思えた。
やはり「しっかりと守る」こと
「退屈なサッカー」こそ勝利に最も近いのだ、と。
しかし、この日奇跡を起こしたバルサによって
サッカーはもう少しだけ夢を見れそうだ。
いつかは醒めるだろう。
そして時代がめぐり、退屈なサッカーと
優雅なサッカーを経て 数十年後にこう呟くのだろう。
「今の誰よりもあの頃のバルサはすごかった」
「XXXよりメッシのほうがすごかった」 と。
それはまさにサッカーの幸せなのだろうと思う。
いまだに誰もを
ペレとマラドーナと比較し続ける世代が幸せであるように。
Awayでの第1戦を0-2で落としてるバルサにとって
この日の勝利は絶対ではなかった。
加えてRマドリーというライバルとの試合で
2戦続けて敗北しており、
最高のパスサッカー、
バルサこそがサッカー、
という一世を風靡した空気は薄れていた。
事実選手自身も祈るように「逆転は可能だ・・・」という
現実味のないフレーズを壊れたレコードのように繰り返していた。
相手のミランはここ数年は低迷期とは言え、
守ることに関しては誰よりも好んでいる
サッカー界では「お堅い」イタリアのチームなのだから。。。
ーーー
この試合に関して戦術的な話をするのはやめよう。
ひとつだけするのであれば、ビジャを中央の深い位置で使うことにより
メッシに時間と空間を与えたこと、
そしてDアウベスをほぼウィングのように前線に槍のように突き刺し、
ミランの守備を広げたことが功を奏した。
必然的にラインは下げられ、横に広げられ、
もっとも危険なメッシ、イニエスタ、シャビに自由を与えた。
それも、ビジャとDアウベスが独力でも時間を作れ
走力に優れたプレーヤであるからこそ、だが。
バロンドールを取り続け世界最高選手の名をほしいままにしているメッシも
スペイン代表で栄華を極めたビジャも、
年齢が気になりだしたシャビも、すました顔のイニエスタも
誰もが我先にとボールへ群がった。
およそ小学生がやるような「サッカーの原点」が
世界最高の舞台で繰り広げられた。
奪われたボールに群がるバルサ。
一度でもそこを突破されれば危険が広がる。
その危険も、ポストという名の壁が防いだ。
バルサに怖いものはなかった。
攻め続けるしか選択肢がない状況で
凋落を指摘されたチームは沈むまいと抗った。
リアルに対抗する姿に人々は感動を覚える。
そしてそのシナリオは描きかえられた。
バルサという時代は極めて希有な時代だと感じる。
高質なパスと繊細なプレーとチームプレーこそが勝利だという。
時代によって勝利の定義は変わる。
フィジカルこそがすべてだった時代があり、
全員攻撃こその時代があり、
守備がすべての時代が長く続いた。
その守備を「チーム」で破壊する。
なんとも正義感あふれるサッカーであるが、
それは非日常であって、日常ではなかった。
イタリアが、ミランが勝利することで
サッカーは日常を取り戻すかに思えた。
やはり「しっかりと守る」こと
「退屈なサッカー」こそ勝利に最も近いのだ、と。
しかし、この日奇跡を起こしたバルサによって
サッカーはもう少しだけ夢を見れそうだ。
いつかは醒めるだろう。
そして時代がめぐり、退屈なサッカーと
優雅なサッカーを経て 数十年後にこう呟くのだろう。
「今の誰よりもあの頃のバルサはすごかった」
「XXXよりメッシのほうがすごかった」 と。
それはまさにサッカーの幸せなのだろうと思う。
いまだに誰もを
ペレとマラドーナと比較し続ける世代が幸せであるように。
※ この記事は、2013年3月14日にアメブロ「虚言」で書いたものを移しました。
