サッカーコラム~2011年3月:スポーツは文化 虚像だが幻想的だ
親善試合でカズがゴールを決めた
Jリーグなど無かった時代から
見てきた僕ら世代には感慨深い
スポーツは文化である
称賛の対象にはなるけれど
一歩文明から足を離せば
無意味なことに気付く
震災や戦地ではボール扱いの上手さなど
意味を持たない
いわば虚像の栄光だ
テレビでは誰も真似できないような
素晴らしいプレーを映す
それに価値を見出だすかどうか
受け手次第なんだろうね
サッカーを知らない人に
w杯の伝統を切々と語っても無意味だ
だけど
同時に僕らは人間的だ
全員が等しくボランティアをするのも違う
逆に日本の経済が止まる
隣町が火事だからと言って
仕事を休むのは違う
僕らはそれぞれの役割を持ってる
そして時に歩くべき道さえも
投げ出したくなる
サッカーするより物を運べ
分かるけど運ぶことに素人な30人が押しかけてどうする?
彼らの明日は誰が保障する?
被害者は守られるべきだが
筋が違う批判はつらいよ
僕らが
44歳にもなって
あの場面でゴールしたカズを
素直に
感動するのは
自然だろう
スポーツは虚像だけど
時に幻想的だ
監督をつとめたストイコビッチは
内戦で母国はいくつにも別れた
地図にはもうユーゴスラビアの文字はない
そんな彼らも
サッカーに一喜一憂する…
戦地でも
試合の2時間だけ銃声が止まった事もあるという…
何を思うかは受け手の僕らの自由だ
だけど
26年間走り続けたカズの生き様は
こんな時にサッカーしても
誰も救われない
なんていう現実的な言葉よりも
たとえ数人でも
誰かの心を強くしたのなら
意味はあったと
そしてやっぱり
意味のないものに
価値を作っていける
人間的な心証を
大事にしたい
明日も誰かがボールを蹴って
隣にいた子に
すごいね!って羨望される
そんな些細な憧憬の
行き着く先が昨日のカズだった
すごいよ カズ…
もうすぐ桜が咲く
今年はいつもと違って見えるけど
いつも通りの春です
身勝手な人間の印象
そんな幻想を抱えていけたらいいな
Jリーグなど無かった時代から
見てきた僕ら世代には感慨深い
スポーツは文化である
称賛の対象にはなるけれど
一歩文明から足を離せば
無意味なことに気付く
震災や戦地ではボール扱いの上手さなど
意味を持たない
いわば虚像の栄光だ
テレビでは誰も真似できないような
素晴らしいプレーを映す
それに価値を見出だすかどうか
受け手次第なんだろうね
サッカーを知らない人に
w杯の伝統を切々と語っても無意味だ
だけど
同時に僕らは人間的だ
全員が等しくボランティアをするのも違う
逆に日本の経済が止まる
隣町が火事だからと言って
仕事を休むのは違う
僕らはそれぞれの役割を持ってる
そして時に歩くべき道さえも
投げ出したくなる
サッカーするより物を運べ
分かるけど運ぶことに素人な30人が押しかけてどうする?
彼らの明日は誰が保障する?
被害者は守られるべきだが
筋が違う批判はつらいよ
僕らが
44歳にもなって
あの場面でゴールしたカズを
素直に
感動するのは
自然だろう
スポーツは虚像だけど
時に幻想的だ
監督をつとめたストイコビッチは
内戦で母国はいくつにも別れた
地図にはもうユーゴスラビアの文字はない
そんな彼らも
サッカーに一喜一憂する…
戦地でも
試合の2時間だけ銃声が止まった事もあるという…
何を思うかは受け手の僕らの自由だ
だけど
26年間走り続けたカズの生き様は
こんな時にサッカーしても
誰も救われない
なんていう現実的な言葉よりも
たとえ数人でも
誰かの心を強くしたのなら
意味はあったと
そしてやっぱり
意味のないものに
価値を作っていける
人間的な心証を
大事にしたい
明日も誰かがボールを蹴って
隣にいた子に
すごいね!って羨望される
そんな些細な憧憬の
行き着く先が昨日のカズだった
すごいよ カズ…
もうすぐ桜が咲く
今年はいつもと違って見えるけど
いつも通りの春です
身勝手な人間の印象
そんな幻想を抱えていけたらいいな
※ この記事は、2011年3月30日にアメブロ「虚言」で書いたものを移しました。
